六十歳を過ぎて「三つ子の魂百まで」とつくづく思う件

生き方

先日62歳になったのだがいまだに人間関係が不器用だと感じるし、その原因は私の幼少期から思春期の頃までの親(特に母親)の私に対する接し方が大きく影響していると感じている。

・自分(親)の気に入らない自己主張は基本認めないか無視する。
・精神的に自立しようとする言動を否定してかかりネガティブに反応する。
・喜怒哀楽の表現の仕方によってヒステリックな反応をする(何が地雷で怒り出すかわからない)。

このような親に育てられたら、自分を表現しようにもまず先に相手の顔色を伺うような人間に育つはずである。そしてそんな私の人格は60歳を過ぎた今も基本のところでほぼ変わっていない。努力してもなかなか変わらない。だから幼少期の刷り込みは恐ろしい。

その後学生時代、社会人になってから特に若いうちは周囲との人間関係があまりにうまくいかず悩みに悩んで、性格形成についての多くの本を読み漁った。
人間関係がうまくいかない時、相手は変わらないのだから自分を変えるしかないということだけは早いうちから学んでいたのである。そして少しづつ周囲に受け入れてもらうための自分なりのノウハウを蓄積して、30歳を過ぎる頃にはようやく人並みに人の輪の中に受け入れてもらえるようになったと思う。
それでも後遺症のように依然不器用なままで言動に不自然さは残っていたはずだ。

その後幸いにも念願の家庭を持つこともでき、妻(こちらは人格者です)から受ける影響も大きかったと思う。
そして今は音楽バンドの仲間にも恵まれ先日初ライブも無事終えることができた。

こんな自分でも時間はかかったけれど克服できたのだから、人間関係で悩む多くの人は皆努力して自分を自分で癒しながら変わることで少しづつであっても克服できるのではないかと思う。
私と同様に本当に長い時間と大変な努力が必要かもしれないが。

そうは言っても、今も気のいいバンド仲間達といる時も、何か自己主張する前につい相手の顔色を窺ってしまうし、素直に喜怒哀楽が出しにくい自分がいる事は変わらない。

本屋さんに行けば「ありのままの自分を愛する方法」とか「気を使い過ぎて疲れてしまう人へ」といった心理学の本が山積みになっている。たくさん売れるから多くの本が出版されるわけで、それだけ悩んでいる人は多いのだろう。
そして本の中で決まって出てくるキーワードが「幼少期の親との関係」である。

世の中、親が子の人生に与える影響がこんなにも大きくていいのだろうか、とつくづく思う今日この頃。

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