50歳過ぎのオヤジが山本文緒を読んで救われる

読書

50歳を過ぎても妻をはじめ女性の心理はよくわからない。いや少しはわかったつもりになっていたのだが山本文緒を読んでやはりわかっていなかったと知った。
何度か読み返したエッセイの表紙の裏で微笑む山本文緒の写真をじっと見つめてみる。
やはりわからんのである。

男は皆一度でいいから女性を追うよりも追われる立場になってみたいんじゃないか、と思う。
「恋愛中毒」を読むと、男が女性から追われるほど愛されるためには、その女性にとっての「あちら側の人」になる必要があると知り自分には到底無理だと思った。
そもそも女性は、女性から追われたいと望むような弱い男には興味がないのである。
自分の心を圧倒的な人生経験で包み込んでくれるような男が好きなのである、きっと。

山本文緒の数多いエッセイ集の一つ「かなえられない恋のために」をおじさんが読むと女性目線とは如何なるものかを教えてくれ大変勉強になる。さらには「書くこと」という使命を天から授かった山本文緒の作家としての試練と栄光の一端を知ることもできる。

山本文緒の真剣な呟きに耳を傾けていると、しがないサラリーマン中年オヤジの自分が山本文緒に比肩する生き方をするためにはどうすりゃいいのだと少し悔しい思いがする。
だがそんな私の自己嫌悪を他所に彼女はこう呟くのである。

何もできない私。頭も悪いし、運動神経も悪いし、性格ももっと悪いし、不美人で小太りで卑屈な私。
(中略)
小説なんか書かなくても、君が好き。
そう言ってくれる人はいない。
いないのだ、
書くしかない。私は書くしかないのだろう。きっと。

このくだりを何度も読み返して、しょうもない日々を生きる自分のささくれだった心が一気に救われるのだった。

数あるエッセイを読んでいると山本文緒は結婚がしたい女性だったのだろうなと思う。(実際されているが)
そして多くの男性は、結婚をしたい女性が好きである。
そして大概の男性は、不倫を人道主義からでなく生理的に嫌悪する女性が好きである。
だから私は山本文緒のエッセイを読むのが好きなのだ。

今目の前に山本文緒の作品15冊を並べてこの記事を書いている。
「無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ日記」は読もうとすると辛くなるので買っていない。
そのうちこの彼女の最後のエッセイを読める日が来るのだろうか。

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