現実の不幸な場面からよりも想像上の不幸な場面からの方が心が受けるダメージは大きい

生き方


現在会社を退職することを考えているが、退職後に起こるかもしれない不幸な出来事をどうしても想像してしまう。例えば、

 ・生活に行き詰まって持ち家を売却せざるを得なくなり不動産屋さんに今の家がいくらで売れるか見積りをお願いしている場面
 ・色々ネットや職安で仕事を探してみるが応募してもアルバイトにすら採用されず不採用通知ばかりを受け取る場面
 ・生活が苦しくてピアノのレッスン料が払えなくなりレッスンを辞めることをピアノの先生に相談している場面  などなど

PTSDとは「ひどく衝撃的な出来事(トラウマ)を体験した後に、その記憶が恐怖などの強い感情とともに何度も思い出されて、当時に戻ったように感じ続ける病気」だそうだが、過去と未来の時系列は逆だがこれに似ているかもしれない。

私は過去に会社の上司から人前できつい嫌味を日々言われたり叱責され続けたりすることが続いた時期があった。毎日家に帰ってからもそれらの場面が頭の中に繰り返し思い浮ぶ日々が続いて、ついにはメンタルを病んで休職したことがある。
その時も実際に上司から嫌味を言われている現実の場面よりも家に帰ってから明日また嫌味を言われている場面を想像することの方が心に受けるダメージがきつかった気がする。

この先起こるかもしれない現実の不幸を前にして心が苦しくなるならともかく、まだ起こってもいない「出来事」で苦しんだ結果心が病むようなことがあるなら明らかにオカシイし馬鹿げている。

「心配事の9割は起こらない」というけれど、だとしたら、心配さえすれば9割の確率で心配しているような出来事は起こらないのかもしれない。

61年生きてきた経験上、不幸な出来事はだいたい油断している時に想定外の展開として起こってきた気がするし、起こってしまった事態を収拾すべく行動している時間は案外楽しかった気もする。

どの道なるようになるのだから、仕事を楽しみながら日々を過ごせそうだと今信じられる道を選びたい。

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